何故、妻は人を蔑む発言をするんだろう?とよく思います。
週2日の在宅の内、1日は妻の在宅の日程と重なるので、自宅で2人で仕事をします。妻との会話にはとても気を遣います。私の発言のどこを否定してくるか予測がつかない為です。
会話の中で私が知らない情報があれば、「何で知らんの?そんなん普通知ってるやろ?」だの「常識やろ?」といった表現をします。(妻が知らない話が出ることもありますが、それは知らなくて当然の様子です。)
例え、私が否定される内容で無かったとしても、妻が人を馬鹿にしたり蔑む内容の会話を聞くのはその対象が誰であれ不愉快です。
相手が不快な思いをする言い方をしていたり不快な内容になっていることに気付いているのか?
それも分からず思ったことを言っているのか?
と考えたこともありますが、妻は私以外の人間には人並みの気遣いのある話し方ができるのです。出産前までは、私との会話も互いに思いやりのある話し方になっていたはずです。そうでなければ流石に結婚もしていないし、出産も無かったでしょう。妻の話し方が変わったのは出産後で、妻は私に対して、故意に私を蔑む表現で話しているとしか考えようが無いのです。
この話し方が原因で今まで幾度となく喧嘩をしてきました。
口論を思い返せば、妻の言い分は、「怒る方が悪い」です。
どんなに不愉快な発言をしたとしても、私は何も悪くない、そんなことで起こる方が悪いんだと言っていました。
口論のたびに関係は破壊され、修繕させることはありません。
そして何の反省も無く、妻の不快な話し方はそのままに、現在に至ります。
夫婦間、もはや夫婦ほどの深い中では無いにせよ、同居人程度であっても相手を蔑んで不快にさせて関係を悪くすることに何のメリットがあるのか?
相手を蔑むことに何の喜びがあるのか?
何故そんな人間なのか?
道徳は?
良心は?
何の罪悪感も感じないの?
妻は私を心底馬鹿にしているのだと思います。
対等の言葉として私の意見に耳を傾けることが出来ないのです。
私のことを奴隷か何かだと、蔑んで愉悦に浸る為の都合の良い存在だと、そのように考えているとしか思えません。
私は家族は大切なものだと考えています。
家族に対する話し方が一番相手を思いやった話し方であるべきだと思うのです。
他の誰かよりも家族が大切だと思うからです。
妻の振る舞いは全くの逆です。
明日は、夫婦で在宅の日です。
平和な一日であるよう祈るばかりです。